幸せに暮らせていますか?
こう聞かれて、なかなか本心から肯定的な答えを言える人は少ないのが現代です。
なぜなら、毎日仕事に行かねばならず、気の合わない人にも話を合わせたり、上司や先生から仕事や勉強を強要されたり・・・
それでいて評価はほとんど「数字」で行われ、その人自身の心や思いは見てもらえません。
しかも、人によっては休日も少なく、自由になる時間もわずかだったりします。
これでは、「心からの幸せ」を感じるのは難しいのはしょうがないと言えるでしょう?
そして、これらの原因の1つでもある、「社会システム」というものを、もう一度見つめ直す必要が来ているような気もします。
私たちは、一体今どんな社会に身を置いているのか、再度確認してみましょう。
目次
我々はすでに奴隷!? 管理され、搾取される民衆 事実に気付き、抜け出せるのか!?
社会システムの問題点の一つに、「教育」があります。
学校教育は様々な面で我々を洗脳しようとしてくる(教師はそれに気づかず善意でやっているから問題は深い)のですが、その中の1つで歴史の改変があります。
歴史は常に勝者や権力者によって都合のいいように書き換えられていますが、現代でもそれは継続的に行われています。
「江戸時代は抑圧され、野蛮な社会だった」
というイメージなどは最たるものでしょう。
具体的には、江戸時代の年貢(=税金)の多さを表す言葉として”五公五民”だとか”六公四民”というものがあります。
これはつまり、収穫量の半分以上を年貢で取られていたということだ。
現代風に言えば、給料の半分以上が税金で取られる・・・ということになる。
しかし、このたった1つの言葉や事柄だけを切り抜き、いかにもそれが普遍の事実であったかのように見せるのは、政府やマスコミの得意技でもある。
江戸時代の農村研究家田中圭一氏などの研究によれば、実際の江戸時代の年貢は約37%であったということが江戸幕府の財政資料により解っているという。
しかも、これはあくまで100年以上前の年貢量であり、その後生産技術の向上や、農地の拡大により収穫量が増えても、年貢量は据え置きであったという。
江戸時代は文化や文明が栄えた時期でもあり、農産物の収穫量も地域によっては倍以上にもなったということが解っており、それでいて年貢量が変わらなかったということは、
年貢(=税率)は、実質15%~20%程度であったということだ。
しかも、当時の労働時間は1日だいたい4~5時間ほど。
もちろん、職業や時期によって違いはあるだろうが、少なくとも現代よりは労働時間が短かったのはほぼ間違いない。
※ただし休日は少なかった。地域にもよるが年間60~80日程だったという
現代の税率の真実
では、現代の税金はどのくらいなのでしょう?
年収によって変わるのは当然ですが、一般的(平均)な年収を基に考えてみましょう。
国税庁による発表によれば、2020年の日本の平均年収は約430万円です。
※平均値です。中央値ではありません
年収約430万円の場合、税金はどのくらい取られているのでしょう?
様々な控除もあり、一概には言えませんが、ざっくり25~30%(お住まいの住民税によって変化)だと言われています。
つまり100万円以上が税金で持っていかれることになります。
さらに実質的な税金とも言える健康保険や年金、給料明細だけでは見えない消費税やガソリン税などの避けられない税金も多々あります。
これらを総合すると、現代の税率はなんと60%以上(約67%)になるといいます。
つまり、年収430万円あっても、自分が自由に使えるお金(可処分所得)はわずか3分の1ほど・・・130万円ほどしかない計算になります。
これは別の視点からも証明されます。
日本の国民総所得(GNI)は2018年の数字で約520兆円。
対して政府の歳入総額は納税額合計は約240兆円です。
これだけ見れば50%にも足りませんが・・・
あくまでこれは国税のみ。
我々は住まいのある自治体に地方税も払っています。
これも含めて計算すると約330兆円。
やはり、所得の60%以上(約62%)税金を納めていることになります。
しかも、ここに年金や健康保険なども加算されますので、やはり上記と同じような金額になることが解ります。
我々は庶民は、実は所得の3分の2(約66%)も税金を支払っているのです。
ですが、さらに消費税は上がる可能性がありますし、医療費の負担増や年金破綻などを理由に、搾取される金額は増え、自由に使えるお金は減っていきます。
このまま資本主義を続けていても、格差が広がり続けるのは間違いがないでしょう。
私たち一人一人が、この破壊的なシステムに気が付いて、打破しない限りは・・・
疑問に思わないようにされている
このように、気が付きにくく搾取しているのが現代の社会システムです。
税金が非常に解りにくいモノになっているのも、理解してもらっては困るからです。
そして、長時間労働や、ヒエラルキーに疑問を持たせないようにしているのが、学校というシステム。
それらが当然で、みんなが同じようにやっていると感じさせるのがマスコミというシステム。
さらに言えば宗教などもヒエラルキー安定のために、1,000年以上も前から利用されています。
現代では、コロナなども新しい社会秩序のために造られたと言ってもいいかもしれませんね。
今後、中国ではすでに試験的に運用されている社会信用スコアが、コロナにかこつけて行われていくかもしれませんし、
ワクチンパスポートだとかマイナンバーだとか、
1つ1つのパーツを組み合わせていくと、管理社会まっしぐらなのは誰でも解るレベルになってきているのではないでしょうか?
自分がどのような社会に居たいのか、
未来にどのような社会を残したいのか、
まずは身近な人とから、考え始める時が来ているのかもしれませんね・・・
蛇足
私たちが「気が付かない」ようにしている大きなものとして、本文中のものの他に”教育”が挙げられるでしょう。
学校行けば、先生(教師)という権威がおり、基本的に(一般的に)は、先生の言う事を聞くように、というふうに習います。
これが基本的洗脳の始りかもしれません。
儒教から流れる年上が偉い、先生には逆らうな、という思考を植え付けられているとも言えます。
本来であれば、教わる側と伝える側という括りはありますが、人間としては同等の存在なはずです。
どちらの立場であっても、お互いの話を尊重して聞くべきだろうし、片方が一方的に押し付けることは良い結果が生まれる可能性は低くなってしまうでしょう(もちろん、時と場合にもよります)。
この教育現場で行われる”先生は絶対”、”先生の言うことを聞こう”、という思想はそのまま、上司や社長の言うことは聞こう、権威ある(肩書のある)人の言うことは本当だ、政治家や医者は無条件で偉い・・・・etc・・・という思い込みに変わっていくことも見られます。
本当は、立場や肩書は、役割を示すだけです。
本当は、どんな立場であろうが、肩書であろうが、何歳であろうが、同じ人間であり、互いに認め合うべき、同列の存在のはずです。
こういった洗脳こそが、本物の牢獄なのかもしれませんね・・・